レビュメモ!

映画・舞台・本のレビュー。ネタバレありの時はその旨表記します。映画と漫画と美味しいものがあれば大体しあわせ。

刀ステ「舞台刀剣乱舞 悲伝 結いの目の不如帰」ネタバレあり・ネタバレなし感想

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※8/1追記あり

千秋楽にて一部演出と台詞が変更になっており、解釈・感想を記事の最後に追記しています

 

7/4、5、北九州ソレイユホールにて「舞台刀剣乱舞 悲伝 結いの目の不如帰」を鑑賞しました。

 

備忘録も兼ねて感想を書きますが、2.5次元にもだいぶ慣れ、特に舞台刀剣乱舞=刀ステは一番好きなシリーズなので今回かなり主観が入ったものになるかと思います。考察ともいえない個人の感想、妄想です。台詞はうろ覚えです間違っていたらすみません。

 

 

前半ネタバレなし(公式HPに書いてある程度のあらすじは書きます)、後半ネタバレありになりますのでご注意ください。

ちなみに私はネタバレを避けまくってまっさらな状態で舞台を観て結構な衝撃を受けました。

タイトル「悲伝」とビジュアルポスターや映像である程度の覚悟はしていたのですが予想以上だった…。

 

どういう立ち位置で見るかによって感想も変わると思うので↓

刀剣乱舞は2016年3月開始のpocket審神者Lv185で初期刀は山姥切国広。

そこそこ頑張ってる…かなぁぐらいの審神者です。
山姥切国広、三日月宗近、太郎太刀、厚藤四郎、源氏兄弟、謙信景光を推しつつ基本DD(誰でも大好き)です。

 

初期刀が山姥切国広で最推しなうえ、三日月宗近も好きでpocket開始に合わせてゲームを始めたのでマイ本丸は山姥切と三日月と小狐丸、初鍛刀の前田藤四朗が初期メンバー。

このメンバーで一から本丸を作ったという経緯がある為、とある本丸の話とはいえ今回の「悲伝」はもう、もう…。

 

 

 

ざっくり感想(鑑賞後、メモに書きなぐったものからネタバレなしのものを抜粋)

 

 

みかづきいぃ…!

 

私の初期刀があんなにも、あんなにも…

 

ほととぎすぅう

 

布すばらしい布さばきもすばらしい

 

殺陣ぇぇえ…好き…好き…かっこいい…

 

みっちゃーーーーーーーん

ばみぃぃぃーーーーーーーーー

 

父!父!!父上!!!

 

 三日月の殺陣すばらしい

 

鶴丸の殺陣マジ鶴丸

 

ステは深化してる

 

 

 

 

 

ざっくりあらすじ

西暦2205年。

歴史修正主義者と刀剣男士たちの戦いは激化していた。

 

ある日、出陣した永禄八年の永禄の変にて室町幕府第十三代将軍、足利義輝の最期に刀剣男士たちは立ち会うが、刀剣男士たちが去った後、不気味な影が現れる。

 

山姥切国広は出陣先のとある時代で「正体不明の敵(鵺と呼ばれる=義輝の元にあった複数の刀の集合体)」と出会う。

「鵺と呼ばれる」はあらゆる時代に現れ刀剣男士たちと戦い、経験を積み重ね少しずつ強くなっていくようだった。

 

警戒する刀剣男士たちだったが、その敵と一対一で対峙した三日月宗近は意外な反応をみせーーーーー

 

 

という感じになります。

 

 

 

ネタバレなしでもう少し詳しい感想

 

 

殺陣の素晴らしさ~真剣必殺を添えて~

刀剣乱舞はもちろん、2.5次元以外の舞台や映画も、時代劇全般の殺陣のシーンがとても好きで、見ると本当にテンションが上がります。

刀ステの殺陣は毎回素晴らしいうえに真剣必殺も忠実にキメてくれるのでたまりません。

ゲームの真剣必殺シーンが脳内同時再生されてまさに「刀剣乱舞!」という感じ。

特に好きなのは三日月と鶴丸の殺陣。

鶴丸は線の細さがイメージにあってるのと、ホント軽やかに舞うような殺陣も私のイメージの鶴丸そのものなので数振り同時に殺陣をする時もつい見てしまいます。

 

 

 

三日月の殺陣・所作の素晴らしさ~美しさの説得力~

刀ステ三日月宗近をすごいと思う点として、殺陣と所作の美しさを一番に思い浮かべます。

外見の美しさはもちろん、刀を振るって戦っているのにたおやかさがあり、戦闘以外のシーンでも所作が綺麗で三日月宗近は登場する刀剣男士の中でも特に人外というか「どの時代でも常に美しいとされた刀の付喪神」なのだというのがストンと胸に落ちてくる。

 

 三日月宗近の「美しさ」に説得力がないと今回の刀ステはグダってしまう可能性もある作りだと思うので三日月を演じる鈴木さんが外見の美しさだけではなくきっちり丁寧に演じてくれて良かったと思う。

 

美しいけどホケホケと茶を啜る飄々としたじじいな部分もちゃんとあって、ゲームでも元もと三日月好きだったけど刀ステを観て、更に今回の「悲伝」を観て三日月宗近というキャラクターがより好きになりました。

 

 

刀ステまんばの素晴らしさ~まんばに布があって、よかった~

まんばの布が長さから裾の感じからボロさから逆光からの透け具合から素晴らしいので衣装さんに平伏してお礼したいです感謝しかない。

しかし布が素晴らしくてもそれを扱えなければ無用の長物…その点刀ステまんばは本当にかっこよく華麗な布さばきをみせてくれます。

背も高くスラッとしてるからあんな長い布をまとっていてもモタついた感じもなくかっこいい。

まんばに布があってよかったと思えるほど布をかっこよくさばいてくれている。

そして手首が柔らかく二刀流が様になっている。かっこいい。

終盤に逆光の中スローモションで殺陣をするシーンがあるのですが心の中で「かっこいい…綺麗だよまんば…」と親馬鹿全開な感慨に浸りながら観ていました。

かっこいい、綺麗だ言ってますが、劇中で鶴丸に刀豆知識みたいなのを教えられ「そうなのか」と信じたところで「嘘だ」とあっさり騙されるチョロさがあったり、微笑ましい理由で三日月に怒ったり拗らせてるけどチョロ素直なまんば可愛いよまんば。

 

 

父!父!!父上!!!

三日月とともに今回は小烏丸にもビジュアルの再現だけでなく演技での説得力がないと特に終盤が引き締まらないストーリーだったと思うのですが、見事に演じていてすごい。

ちゃんと刀剣の父でした。

 

今回とくにキャストイメージが近いというか、これまでステに登場していた男士はすでに馴染み深いような感覚もあり、もちろん骨喰の苦悩も鶯丸と大包平のやり取りも大般若の美形なのに飄々とした雰囲気も合っていて見応えがありました。

 

今回男士が多かったので、ちゃんと一振り一振りの役割的なものを感じられるか観る前ちょっと心配だったんですが、みんなきちんと舞台にいる意味が感じられたのは良かったなぁと思います。

 

 

刀ステは進化というより深化

殺陣といい真剣必殺といい原作ゲームの少ない台詞をちゃんと使いそこからさらに台詞を広げていて、骨組みしかない原作に丁寧に血や肉を加え形作っていく感じ。

今回は出陣場所が多くゲームに出てきた出陣場所や敵部隊名が画面にドーン!と出たり、舞台に出演していない刀剣男士たちの名前がバンバン出たり(「隊長は山伏国広だろう」「薬研たちに合流しよう」みたいな)して、自分自身の「池田屋二階の記憶」が蘇ったり名前のみ出てきた男士も舞台の上にはいないけど戦ってるんだなーと舞台を観ながらゲーム追体験出来て。

 

今回初めて、2.5次元やアニメやコミックに派生している「とある本丸」に自分の本丸を重ねて見た。

 

「刀とは」という問いかけ含め原作を深く掘り下げて作られた印象を受けました。

 

 

 

 

 

 

以下、ネタバレあり感想

 

 

 

 

 

 

 

ざっくり感想(鑑賞後、メモに書きなぐったものからネタバレ含むもの)

 

 本丸突入 刀剣男士殲滅部隊 やばい

 

極はライトセーバー(ブォンッ…)

 

 ラストまんばが「始めよう」ていうぅ

 

けんげんしたぁああ

 

みかづきがかちどきのうたうたってない…

 

 

 

 

後半あらすじ(ネタバレあり)

「鵺と呼ばれる」と対峙した三日月は初めて出会う存在に興味を持ち彼を倒さずに見逃す。それを密かに見ていた燭台切は三日月に不信を抱く。

そんな中、遡行軍が本丸の位置を特定し「本丸突入 刀剣男士殲滅部隊」←ヤバイが降り立ち戦闘を開始。その中で更に三日月が「鵺と呼ばれる」と接しているのを見た燭台切は三日月に刀を向け、「ここで折れる分訳にはいかないかない」と三日月も抜刀する。

三日月が燭台切を斬りつけるのを目撃した山姥切は「何故だ」と叫ぶが、三日月は審神者が遡行軍を締め出すために作り出した時空の穴へ「果たさなければならない約束がある」と「鵺と呼ばれる」と共に姿を消し、それを追った骨喰と大般若ともはぐれてしまう。

歴史の糸が絡まった「結の目」である三日月宗近がいることで本丸の位置を特定されたことがわかり、時の政府から「三日月宗近の刀解」の命が下り山姥切らは三日月を追う。

 

 

 

  鵺と呼ばれる=時鳥(ホトトギス)

複数の刀の集合体=刀のキメイラとして「鵺と呼ばれ」ていた刀は、義輝に「時を越えて自分を導く鳥=時鳥」として名付けられ、集合体故に混沌とした意識を持っていた彼は自分自身を「義輝の刀」として確固とした自我を持つようになる。

不動は「義輝様を守る、死なせない」と抗う時鳥を「あれは(かつての)俺だ」と言います。

不動をはじめとした刀剣男士は元の主に多かれ少なかれ執着があるものの「今代の主を守るんだ」という強い意志を持って戦い、仲間である三日月にさえ刀を向ける訳ですが、時鳥の主は義輝一人で時鳥は今まさに「主を救えるか否か」の局面に立っているので歴史修正主義者側について当然といえば当然で。

時鳥と男士が戦うの見るの辛かったです。

 

ただジョ伝で登場した伊達の黒甲冑がまたいるのがよくわからない(伊達政宗の父・輝宗の名前は足利義輝からとったという繋がりで現れたということですが…黒甲冑自身が「(歴史の糸が絡み合った結び目では)起こるはずのないことが起こる」みたいなことも言ってたけどソレ言っちゃうと本当に何でもありになるよ)

 

 

 

 鵺と呼ばれる=時鳥は三日月宗近も内包していた

序盤、義輝は自身の所有する6本の刀で刺殺され、舞台上でもその6本の刀が地面に突き刺さっている演出があり敵軍は義輝に「己が刀剣を己の墓標とするが良い」と言っていました。

作中、時鳥が三日月の台詞を喋り三日月と同じ殺陣を見せるんですが、時鳥と時間遡行軍を倒した後、終盤で再度義輝が討たれる時は彼を刺す刀が5本なんですね(←すみません配信確認したら三日月宗近以外の刀6本でした)

終盤、義輝は三日月宗近を家臣から渡されるもその美しさから「これほど美しい刀を血で穢す訳にはいかぬ」みたいなことを言い敵軍に「後世に伝わる名刀だ」と自分を討ち取った褒美のようにして与え、5本の刀に突き刺される。

 

三日月宗近を内包する「鵺と呼ばれる」が存在する時間軸は時間遡行軍に改変された誤った歴史であり、時鳥を率いる時間遡行軍を倒すことで三日月自身が言っていた「俺は永禄の変で使われなかった。(主を)守りたくとも守れなかった」という正しい歴史に戻った。

 

余談ですがこの、刀が地面に数本突き刺さっている演出で映画「七人の侍」(まさに死んだ侍の刀を墓に刺し墓標としていた)を思い出し興奮しました。

悲しいけれど剣に生きた者にこれほど相応しい墓標はないと思います。

 

が、パンフレット表紙で三日月宗近が一本だけ地面に突き刺さっているのは悲しすぎます。これ、この墓標…。

三日月のページだけ「歴史と思われる糸が絡まってる」のもホテルに帰って読んで気づいて泣きたくなった(パンフレットの表紙から中身から裏表紙まで全て、1本の細い糸のような線がずっと繋がっているのですが、三日月のページだけその糸が絡まっています)

 

 

不如帰(「帰りたいとも鳴くし、帰りたくないとも鳴く」)

人(義輝)を死へ誘う冥府の使い(義輝視点)=三日月宗近であり、

円環を巡る三日月を見送る山姥切国広であり、

三日月と同じように円環を巡る義輝。

 

或いは「他のものに背負わせるわけにはいかない」「おぬし(山姥切=煤けた太陽)なら刀剣の物語を超えて、道に耀を放ってくれるのやもしれん」という矛盾を抱えた三日月自身が「帰りたい、帰りたくない」と鳴く不如帰。

 

「虚」「義」「序」「悲」

 刀ステは山姥切国広が三日月宗近に導かれ成長し強くなっていく物語でもあり、「虚」「義」「序」「悲」は時系列はバラバラだけど繋がっているんですよね。

小烏丸が三日月の裏切りに疲弊する山姥切、長谷部、不動へ問いかける中にもキーワードが出てきます。

 

三日月を追いに出る深刻な場面でも三日月を「くそじじい」呼ばわりしたり、三日月を共に追った仲間たちが三日月に刀を向けるのを止めようとしたり(しかし主絶対守るマンな長谷部にぺいっと制される)それまでの積み重ねがある故に山姥切自身はなかなか三日月に刀を向けられない。

三日月は山姥切を「試練を乗り越えさせる為」これまで見守り強くあるよう導いてきましたが、それは「悲」に繋がるものだった。

 

 

「刀とは」

時鳥の「刀とはなんだ」という問いかけ。

燭台切が「元の主である伊達政宗から料理を通したもてなしの心を受け継いだ」と生き生き料理をする姿に歌仙が「貴殿が元の主から受け継いだのはもてなしの心だけか」「僕たちは刀だ」「刀としての本分を忘れるな」と戒めます。

 

三日月はその美しさから主(義輝)の最期の時も使われることはありませんでした。

「守りたくても守れなかった」と三日月は言います。

元もとの設定でも原作の台詞でも「美しい刀」であることは強調されてますが、今作では義輝も大般若も山姥切も揃って三日月宗近という刀を「美しい」と語ります。

 

大般若は「桜の美しさに理由がないように、ただ美しかった」

山姥切は「ただ深く優しくそして美しかった」

 

どんだけ三日月宗近美しいんだ。

 

人に、刀にひたすらに「美しい」とされ、「美しく在る(美しく在らねばならない?)」三日月宗近は刀剣男士として肉体を得て心を持った今、何を思うのだろう。

 

「心に非ず」と書いて悲しいと読む。心があるから悲しいのにと鶴丸と小烏丸は語ります。

鉄クズのままであれば心を持たなければ悲しみはないのに刀剣男士は心を持っていて悲しいという感情を知っています。

 

「まだ三日月から話を聞いていない」

「話したところで、もう戻れない」

 

三日月から話を聞きたい山姥切と、仲間に真意を問われても語らない三日月。

三日月と帰りたい山姥切、帰りたくとも帰れない三日月が悲しい。

 

 

 

円環に巻き込まれんば

終盤、三日月を追う刀剣男士たちが逆光+スローモーション殺陣で敵と戦う場面があり全振り本当にカッコ良くて泣けました。

まんばも真剣必殺のボロボロ状態ですが、更に円環に巻き込まれ?様々な歴史を目の当たりにします。

 

義経と弁慶、秀吉の幼少時、徳川家康、新撰組、坂本龍馬暗殺、銃を持ち戦う兵士たちなどの歴史的場面に巻き込まれ義経に「あやしい奴じゃ、成敗してくれる!」と言われ斬りかかられたり…刀ステと刀ミュがリンクするように、刀剣乱舞が2.5次元で演じた歴史がダイジェストのように舞台上と舞台画面で目まぐるしく展開されカオス。

 

三日月も一人きりで同じものを見たのかしんどいな…。

 

「銃を持ち戦う兵士たち」のみ刀剣乱舞で取りあげてない部分ですが「刀の時代の終わり」とかなんですかねやはり。しかしあの閃光…。

 

 

巻き込まれた円環から開放された山姥切が目を覚ますと波の音がする、恐らく浜辺にいました。

そこへ現れる、主の刀解に抗い人の姿を保てなくなった、髪から服から色をなくした白い三日月と「三日月宗近と山姥切国広の物語」を見届けに時空の隙間に滑り込みやってきたという小烏丸。

 

「山姥切よ、懐かしいなぁ、あれは紅白戦の時だったか。いやそれよりもずっと前に」

気が遠くなるほど長い間、きっと何度も何度も何度も。それこそ

 

「歴史修正主義者が歴史を変えても意味はないし、またそれを阻止しようとする刀剣男士の行動にも意味はない(歴史とは結果の上になりたっている)」

 

その考えに至るほどに円環に囚た三日月の悲しさ。

円環を巡り刀剣男士としての強さを超えてしまった三日月は刀剣男士5人(極2人含む)よりも強く倒せなかった。

 

三日月と山姥切は一騎打ちをしますが、やはり三日月が勝ち、刀解の時がやってくる。

 

「ここで終わりのようだ」

 

三日月宗近という刀が、物が語る、物語の終わり。

山姥切は「次は必ず俺が勝つ」と三日月に約束します。

 

三日月が言っていた「過去、未来幾度となく交わした山姥切との約束」…。

 

 

 これまで巡り合わなかった「山姥切が三日月に勝つ」時間軸は存在し得るのか考えると…普通に考えるとこれまでと同じ展開(三日月だけがループ)では無理じゃないかと思いますが、ただ「鵺と呼ばれる」が今回初めて三日月の前に現れたように、「義伝」で三日月だけでなく全員がループしたように(全員でのループは三日月も初体験ぽかった)黒甲冑が「(三日月宗近のいる結び目では)起こらないことが起こる」と語ったように思いもよらぬ時間軸に三日月はどこかで巡り合うのかもしれない。

それは三日月が希望を見出した山姥切国広によりもたらされるのだと信じたい。

 

今回冒頭の三日月の「刀剣乱舞、始めよう」から始まり、三日月が去ったラストで山姥切が「刀剣乱舞、またいつぞや始めよう」で終わるのですが、今回の「悲伝」を円環を孤独に巡り続けた三日月を軸に据えた物語の集大成として、山姥切が(本丸の仲間皆とでもいい)記憶を継いだ、今までの円環の巡りにはなかった展開がこれからあって、次回三日月救出編とかにならないかなぁ。

今回の「悲伝」以上の悲しい展開はないと思いたいので、もうほんと三日月の結び目をほどいてあげて山姥切国広よ…。

 

 …

 

 

 ……

 

………からの三日月宗近顕現。

 

 

白くなった三日月は刀解されてしまいましたが、最後、あらたにノーマル三日月が顕現され口上を述べます。

新たになのか改めてなのか。

ループ三日月なのか二振り目三日月なのか。

 

 

 

男士達と再び舞台で舞うも勝ち鬨の歌を歌わない三日月。

あんな悲しい気分で勝ち鬨の歌聞いたの初めてでした。

 

「次は俺が勝つ」という三日月との約束を果たすんだ山姥切…。

 

 

 

三分の一見終わったくらいから最後までずっと泣いていたんですが、刀ステでこんなに泣いたのは初めてでした。

 

今もふっと思い出すと悲しい。

 

 

 

 

 

その他諸々な感想

 

極がライトセイバー(ブォンッ…)

極めた長谷部と不動の刀が光ってるのがちょっと笑える。

振るうのをみるたび「ブォンッ…」て効果音を思い出す。

私も二振りとも極めてますが、確かになんか原作ゲームでも長谷部極の刀が光ってる

みたいなイラストになっているので余計に。

マイ本丸の極めた刀剣たちの刀が全部光ってるとこを想像するとなかなかの光具合で 観劇中の悲しみがちょっと紛れました。

 

 

「本丸突入 刀剣男士殲滅部隊」 

出陣場所と部隊名がヤバい。

めっちゃ空から降って襲撃してきたのにビックリしましたー。

ゲームやっててコレ出てきたら怖いわぁ。

 

 

三日月と山姥切の一騎打ち

尊い。

私、推しや作品に対して「尊いに近い感情」を抱くことはたまにありますが「紛うことなく尊い」と思ったのは今回で2回目の体験でした。

 

「古備前の兄弟、生き残れよ!」

大包平の声のデカさといい大包平を「馬鹿」呼ばわりしながら見守る目が優しい鶯丸といい完璧だったんですが、戦での「古備前の兄弟」呼びがもう、もう…。

 

鈴木さん荒牧さんありがとう

あなた方が演じてくださって本当によかった。

 

 

 

「映画 刀剣乱舞」ますます楽しみです

 ワイヤー…(ゴクリ)

 

 

 

※8/1追記

千秋楽をライブビューイングにて鑑賞したところ一部演出、台詞の変更がありました。私が気付いたのは↓

 

 

◎三日月の山姥切「煤けた太陽」呼び再び

やはり三日月は山姥切に希望を見出だしてるんだなぁと

 

 

◎山姥切が、巻き込まれた円環で見た歴史の中に銃を持った兵士(太平洋戦争)がなかった

 

◎三日月と山姥切の一騎討ちで山姥切が勝つ

 

◎一騎討ち後に刀解を免れず消えていこうとする三日月と山姥切のやり取り(台詞はうろ覚えです)

三日月「存外楽しかったぞ。また刀を交えたいものだ」

山姥切「次は必ず俺が勝つ‼」←泣きながら

三日月「強くなったな。存外楽しかったぞ。また刀を交えたいものだ」 

山姥切「ああ、その時はもっと強くなった俺が相手してやる…!」←噛み締めるように

三日月「それは楽しみだな」

 

に変更。

三日月の表情も前回より明るめ

 

◎ラスト山姥切の「またいつぞや、始めよう」が悟りを開いたような微笑みと優しげな口調

 

 

という点。

まんばが勝った‼でも三日月は刀解されちゃうんだ…。

とションボリしましたが、円環で山姥切が「太平洋戦」を見なかったのは山姥切が三日月に勝つ今回の時間軸で、三日月の結いの目を一つ絶ち切れた…?

これからも絶ち切っていける…?全て絶ち切れた時、三日月は…?という希望とも取れ。

 

「もっと強くなった俺が」というのは、まさにもうすぐ実装される山姥切・極のフラグとも思えるし、これから先も続くであろう三日月の円環巡りに「俺も付き合うぞクソジジイ…!」という改めての決意表明とも思えます。

 

とりあえず「希望が見えた!」という気はする。

 

気になって千秋楽変更部分を調べてみたら、ラストの三日月顕現時の演出や口調も違うとか…?

あと、三日月と山姥切の一騎討ちが最初は山姥切ボロ負け→段々と良い勝負になる…からの千秋楽での山姥切の勝利、というのは本当ですか。

「悲伝」一公演ずつが円環を巡る三日月の人生ならぬ刀生だったのかと思うと、もう。

 

そして三日月が勝ち鬨の歌を歌っていたかが確認出来なかったので気になるー‼

 

変更点ではないですが、三日月と山姥切の一騎討ちシーンのBGMがパッヘルベルのカノンみたいだなと思ってはいたのですが、「カノン=ループを続ける三日月に合ってる」という考察を読みなるほど!と納得。

 

カノン=同じ旋律を異なる時点からそれぞれ開始して演奏する様式の曲。輪唱が全く全く同じ旋律を追唱するのに対し、カノンでは、異なる音で始まるものが含まれる。また、リズムが2倍になったり、上下または左右(時間の前後)が逆になったような特殊なものも含む。

wikipediaより

 

 

うん、すごく三日月でゾワゾワします…。

配信やBlu-rayで見直す時のポイントが増えました‼

 

円盤全景映像の明治座公演と本編千秋楽公演の見比べも楽しみ。

 

刀ステを語れる友人がいないので(一緒に見に行ってる友人はストーリーの掘り下げはしない)色んな方の感想や考察を読むと色々な発見があってホント楽しいです。