大杉漣さんの遺作であり最初で最後のプロデュース作品となった『教誨師』を観てきました。
物語の9割ほどは大杉漣さん演じる教誨師・佐伯保が死刑囚と対話をする教誨室のみで進んでいきます。
BGMや派手な効果音もなく淡々と進んでいくのですが少数精鋭的な役者陣の演技で最後まで引き込まれてしまいました。
演じているというよりスクリーンの中で登場人物が生きている感覚が最近観た映画の中でも強く、台詞ひとつひとつについても考えさせられ見応えある映画でした。
殺人犯の思考回路がサイコパスで恐ろしかったり、犯行に至る経緯で死刑囚に情状酌量の余地はなかったのかなど色々考えたり思ったりすることはあったんですが、そもそも作中の死刑囚の言葉が本当なのかもわからないという深読みでさらに増すモヤモヤ感。
2018年/日本/114分/大杉漣/玉置玲央/烏丸せつこ/五頭岳夫/小川登/古舘寛治/光石研/92点
あらすじ
受刑者の道徳心の育成や心の救済につとめ、彼らが改心できるよう導く教誨師。死刑囚専門の教誨師である牧師・佐伯は、独房で孤独に過ごす死刑囚にとって良き理解者であり、格好の話し相手だ。佐伯は彼らに寄り添いながらも、自分の言葉が本当に届いているのか、そして死刑囚が心安らかに死ねるよう導くのは正しいことなのか苦悩していた。そんな葛藤を通し、佐伯もまた自らの忘れたい過去と向き合うことになる。
ー映画.comよりー
教誨師とは
刑務所や少年院等の矯正施設において、被収容者の宗教上の希望に応じ、所属する宗教・宗派の教義に基づいた宗教教誨活動(宗教行事、礼拝、面接、講話等)を行う民間の篤志の宗教家である。
平成29年末現在の矯正施設における教誨師の人数は約2,000名であり、そのうち仏教系が約66パーセント、キリスト教系が約14パーセント、神道系が約11パーセント、諸教が約8パーセントとなっている。
公式サイトより
ちなみに死刑囚は服装・髪型の自由が認められているとのこと。
死刑囚6人の詳しい罪状は明らかにならないので、佐伯との対話の中から読み取るしかないのですが17人殺しとかストーカー殺人とか色々、反省もしていなかったり反省しているようにみえるけどそれが本心かわからなかったり様々です。
実際の事件を元にしているんだろうなぁと思う部分も多々。
教誨師の佐伯は彼らと対話し心の救済に努めますが当然一筋縄ではいきません。
主な登場人物
佐伯保(大杉漣)…半年前に教誨師になったばかり。死刑囚との距離感がまだ掴めずにいる模様。
高宮真司(玉置玲央)…大量殺人犯。17人を殺害。頭がよく佐伯の揚げ足をとるようなことを言う。「共産主義は何で廃れたかわかる?」「同じ命なのに、人間は豚や牛を食べるのに知能が高いイルカは食べない。だから俺も知能が低い奴を殺した」
野口今日子(烏丸せつこ)…(おそらく)集団リンチ殺人の主犯。元美容師。関西弁でよく喋る。罪状に関しては「自分は仲間を止めたのに主犯にされた」と話している。拘置所職員の「帽子でハゲを隠しているハシモトのおっちゃん」の話をよくするが…。
進藤正一(五頭岳夫)…お人好しなホームレス。過去、幼い女の子を車で撥ね車いす生活にしてしまったことを申し訳ないと思っており手紙で謝りたかったが字が書けずに叶わなかった。佐伯から文字を教わるようになる。たまたま拾った雑誌から切り取ったグラビア写真を大切にしている。
小川一(小川登)…気弱な寝具屋。大型ショッピングモールが近所にできてから経営難に。妻子の心配をしているが面会にこない。小学生の息子の同級生とその両親をバットで殺害してしまった。バットを持参していた為「計画的犯行」と判断されたが…。
鈴木貴裕(古舘寛治)…ストーカー殺人犯。元恋人?女性とその家族を殺害。無口で最初の数か月は佐伯と話もしなかった。殺害した女性の幻影(幽霊?)が見えていたが…。
吉田睦夫(光石研)…気の良いヤクザ。組長。佐伯と世間話をよくする。佐伯に対しては穏やかだが他への当たりはキツイ。クリスマスの時期には「これくらいしか社会貢献できないから」と施設の子どもへプレゼントを贈っている模様。「実は警察に言っていない殺人を犯している、先生にだけ教えるから絶対他の奴に言うなよ」と困ったことを言う。
以下、ネタバレなし感想
プロテスタントの牧師である佐伯は、教誨師歴半年。
2週間に一度拘置所を訪れ6人の死刑囚と対話をし、彼らが悔い改め安らかな最期を迎えられるよう聖書の教えを説いていました。
大量殺人犯の高宮は頭がよく「俺は統合失調症なのに死刑にされた。裁判員制度のせいだ。ヨーロッパでは死刑制度の廃止が~」などよく喋り各国の死刑制度に詳しくない佐伯に「何にも知らないんだね」と下に見る態度。「教誨を望んだのは暇だから」など反省の色を一切見せず。
リンチ殺人主犯の野口は「うちは仲間を止めたのに主犯にされた、おかしいわ」「(拘置所職員の)ハシモトのおっちゃん、実はハゲやねん」「うち美容師で、腕もええんやで。不動産王の彼がいるからここを出たら新しく店を出すねん」などマシンガントーク。陽気に喋るが感情の起伏が激しく手首にはリストカットの跡が多数残されている。
佐伯のことを「神父さん」と呼び「牧師です」と訂正しても一向に「神父さん」呼びする。
初対面の元ホームレス・進藤は文字が読めませんでした、佐伯から文字を教わり聖書の教えを学び知識をつけていきます。
「(文字が読めず)苦労されたこともあったのでは?」と問われ「元同僚からよくわからない書類を見せられ、名前ぐらいは書けるから名前を書いたら同僚の借金が自分の借金になった」など話すも「読み書き悔しかったのは昔、6歳の女の子を車で撥ね車いす生活にしてしまい謝りたかったが手紙が書けなかったことくらいです」「悪いことをしたら罰を受けなければなりません」というスタンス。
言葉や文字を知り「桜は自分のことを桜とは思っていないでしょう?」などハッとする
ことを言う。
進藤は後半頭痛に悩まされるようになりますが、「手を合わせる(祈る)と元気になる」「洗礼を受けたい」と願うようになり、佐伯も「次の教誨の時に洗礼をしましょうか」と受け入れます。
息子の同級生とその両親を殺害した小川は、息子の喘息と「(殺人を犯してしまった自分の)遺伝とか…(が子どもに受け継がれていないか)」心配していますが、妻子とも面会には訪れません。
気弱にボソボソ喋り、凶悪殺人犯には見えないのですが…。
ストーカー殺人犯の鈴木は初期は無言でしたが、佐伯に「少しは吐き出さないと」と言われ「私なんか死刑になって当然です、死んで罪を償います」と涙を流します。
その姿は確かに自らの罪を悔いているように見えます。
気の良いヤクザ・吉田は佐伯と雑談もしますが「ギリギリで生活している、牧師の中には収入が足りずアルバイトをしているものもいる」という佐伯に「困ったことがあったらうちの組のモンに連絡してよ」など世話を焼こうとします。しかし「実は俺、警察に言ってない殺人があるんだ」と行方不明の政治家を殺したのは自分だと打ち明け「絶対に誰にも話すなよ」と念を押します。
教誨室の中は季節を感じられるものがなく、時折倒れる卓上カレンダーと死刑囚の会話から時の流れを感じ取っていきます。
季節はやがて冬に…。
以下、ネタバレあり感想
高宮は一向に反省する様子がなく、聖書が、キリストが、と上っ面とも取れる教誨をする佐伯の揚げ足を取るようなことばかり言います。
「同じ命なのに、人間は豚や牛を食べるのに知能が高いイルカは食べない。だから俺も知能が低い奴を殺した」「いかなる人間も殺してはいけないなら何故死刑制度があるんだ」と攻撃的な高宮に、佐伯は「僕の兄は人を殺したことがある」と自らの過去を打ち明けます。
少年時代、佐伯は兄・健一とともに訪れた河原で、母の再婚相手とその息子に出会います。
その頃の佐伯は喧嘩っ早く攻撃的な態度を取りますが温和な兄に宥められます。
しかし相手から自分と兄、そして父を侮辱する言葉をかけられ逆上。
相手の息子に殴りかかった佐伯に男は怒り、佐伯に馬乗りになり殴りかかります。
それを助けようとした健一が河原の石で相手を殴りつけ殺害。
健一は少年院に入りますが自殺し、荒れた佐伯に手を差し伸べたのが牧師であった叔父でした。
そして佐伯は所長から、12月26日に誰かの死刑が執行されることになったと告げられます。
教誨師は死刑囚を救えたのか
鈴木は嵐の日、停電した教誨室で自分の殺害した女性の幻影(幽霊?)を見ました。
驚愕していましたが、後日教誨に訪れた佐伯に「彼女と対話し、彼女を許すことにしました」と晴れやかに語ります。
「鈴木さんが、(自分が殺した)彼女を許すんですか?」と理解できない佐伯に「こんなこと(自分が死刑判決を受けたこと)を真面目な彼女は申し訳なく思ってるんです、でも僕は彼女と彼女の家族を許します。」
「あっち(死んだ彼女のところ)に行ったら、彼女にプロポーズします」
「先生のおかげです、ありがとうございました」
なんだか勝手に救われてるけど悔い改めてない、謎の思考回路・サイコパス鈴木。
野口は「ハシモトのおっちゃんが移動になった」としょんぼりしていましたが、「金持ちの知り合いがいるから、ここから出たら新しい店を持たせてもらうねん、腕がなまったらいかんからハサミでカットの練習したい」など相変わらず人の話を聞かず一方的に話まくりますが、ある日佐伯は拘置所職員との会話で「ハシモトという職員はいない」ということを知ります。
妄想なのか息をするように嘘をついているのかわからない野口。
吉田は「クリスマスでもないのにケーキが出た、それまで生きられないってことじゃねえよな?」と疑心暗鬼になっていきます。
そして「先生、俺が言った殺人の話誰かにしたか?」と聞かれ「いいえ」と答えたところ「言えよ!俺が言ったって信じてもらえないだろ!」とまた無茶を言います。
「言うなよ、絶対言うなよ」は「押すなよ?絶対押すなよ?」と同義だった吉田。
ちなみに佐伯が一応吉田の証言をぼやかして報告したところ「死刑執行を先延ばしにするために嘘の証言をすることよくあるんですよ」とサラッと流されます。
小川は犯行時のことを「息子が所属する野球チームの部費3000円を徴収しに行った。息子がそこの子からバットを盗んでしまったので返そうと持っていったら『3000円はもう払った』って言うんです。3000円ごときって言うけどうちには大金なんです。でも諦めて帰ろうとしたら『親がそんなだから子どももああなんだ』って言われて、それから記憶がないんです」
「気づいたら血だらけのバットが足元にあって(親子を殴り殺していた)」と佐伯に語ります。
バット(凶器)を持って家に行き犯行に及んだのだから計画的犯行だと判断されたと言う小川に「それは心神喪失では?裁判をやり直すべきです」と主張しますが小川は「もう決まったことですし」「殺意があったかって言われたらそうなような気もして」と消極的で傍に控えていた看守?も「何も聞いていません」ととりあいません。
何が本当で何が嘘なのかよくわからないけど流されてる小川。
この時点で進藤は脳梗塞に倒れ、洗礼は先延ばしになっていました。
教誨室の卓上カレンダーが倒れ、佐伯がふと視線を移すと兄・健一の姿がありました。
「どうや、驚いたやろ」と笑う兄に「知っとったわ」と微笑み返す佐伯。
「逃げたきゃ逃げろ」という兄に「逃げん」と佐伯は答えます。
え、今までたまにカレンダー倒れてたのって。
また、自分の過去を告白した後に高宮と教誨した面会した佐伯はそれまでのキリストの教えから離れ自分の言葉で対話します。
おそらく初めて、教誨師というよりも人間として「逃げずに」向き合ってきた佐伯に対し高宮の揺らぎのようなものも見えます。
「世の中を変えてやろうと思い(殺人の)計画を立てたのに何も変わらなかった」
「むなしくて」
「俺はなんでこんなこと…」
「なぜ人を殺したらいけないのか」
ちょっと苦悩モードですが、そもそも何故弱者とされる人々を殺めることで世の中を変えられると思ったのか…。
逃げない佐伯は正直に答えます。
「わからない」
「意味なんてないんです。生きているから生きるんです」
「だから殺しちゃいけないんです」
「あなたも1人1人と寄り添ってくれませんか」
そして迎えた12月26日。
処刑の場に現れたのは高宮でした。
高宮はそれまでの強気な態度が嘘のようにオドオドし震えています。
「340番高宮真司くん」
「遺書は書きましたか」
「ここで何か書きますか」
何を言われても首を横に振るしかできない高宮は佐伯に抱き着き、小声で何かを囁きます。
「高宮さん、私もあなたのことを知ることができて感謝します」
佐伯は答え、高宮の執行を見守ります。
後ろ手に手錠をかけられ、黒い布を頭にかぶせられる高宮は「あれっ」とこぼし…。
洗礼
季節は過ぎ、春になりました。
脳梗塞の後遺症で車いすに乗った進藤が、拘置所で佐伯に洗礼を受けています。
「父と子とーーーーー」
「許されました、あなたは神の子として生れ変ったんです」
洗礼を終え、涙をためた進藤は佐伯に大事にしていたグラビアの切り抜きを渡します。
「ありがとう」とそれを受け取る佐伯。
野口は「もう春やなぁ、うち花粉症やねん」とくしゃみをしながらも相変わらずマシンガントーク。
「ハシモトのおっちゃんがティッシュくれたんよ」
「ハシモトさん戻られたんですか?」
と佐伯も話を合わせます。
他の死刑囚は出てこなかったのでどうなったのか想像するしかありません。
教誨を必要としなくなったのか刑が執行されたのか。
そして鞄を持ち拘置所を出た佐伯は妻の車に乗り込みます。
何気ない会話をしながら車は進んでいましたが、知人を見かけた妻は「挨拶してくる」と車を停め車中に佐伯を残します。
佐伯も車を降り、のどかな春の景色を眺めますが、ふと、進藤から受け取ったグラビアの切りぬきを取り出し広げます。
そこには拙い文字で
"あなたがたのうち、"
"だれがわたしに"
"つみがあると"
"きめうるのか"
と書かれていました。
死刑囚6人は全員よい演技をしていて「こういう人いそうだな」と思いながら観てたんですが、高宮のような思考回路で人を煽ってくるスタイルのわりに自分に歯向かってこなさそうな相手にしか強く出れない嫌な感じが本当に上手くてイラッとしました。
そんな高宮が佐伯に囁いた言葉がどういったものだったのか、小川の告白は真実なのか真実であれば取り調べや裁判に問題はなかったのか、洗礼を受けた進藤が最後に書き残した言葉は過去に背負わされた借金のように冤罪を意味するのかそれとも…。
観終わった後に重い気持ちになり過ぎるのはあまり好きではないんですが、程よい重みと程よいモヤモヤ感と解釈の幅がある内容で個人的に観やすく面白かった。
そして大杉漣さんの「演技」を堪能できる作品が観られてよかったとも思います。