最初の1本。デトックスばりに涙が出た映画です。
正直、「原作小説気になってたけど買って読むには至らずでもやっぱり気になっていたところ映画化されたのでタイトルの意味も知りたくてちょうど良かったという気持ち」があったんですが結局原作買って読みました映画が良かったから!
2017年/日本/115分/浜辺美波/北村匠海/小栗旬
88点
(個人的満足度90点)
「君の膵臓をたべたい」あらすじ
…主人公である「僕」が病院で偶然拾った1冊の「共病文庫」というタイトルの文庫本。それは「僕」のクラスメイトである山内桜良 (やまうち さくら) が綴っていた、秘密の日記帳であり、彼女の余命が膵臓 の病気により、もう長くはないことが記されていた。
「僕」はその本の中身を興味本位で覗いたことにより、身内以外で唯一桜良の病気を知る人物となる。
「山内桜良の死ぬ前にやりたいこと」に付き合うことにより、「僕」、桜良という正反対の性格の2人が、互いに自分の欠けている部分を持っているそれぞれに憧れを持ち、次第に心を通わせていきながら成長していく。
以上Wikipediaより
...という感じに次第に桜良と『僕』心を通わせるのですが、奇跡は起こることなく、衝撃的な出来事がおこってしまいます。
傷心の『僕』は桜良に言われた「先生になりなよ」という言葉から母校の国語教師になるのですが、退職届けを机にしのばせため息の日々。
そんなある日、桜良との思い出がつまった取り壊しの決まった図書館で蔵書の整理中、12年前に桜良が書いた「宝探しのヒント」を見つけてーーーーーー。
ネタバレなし感想
「個人的な泣きツボにハマった」
「ほら泣け!それ泣け!感動するだろ?」みたいにグイグイこられると「泣いてなんやらないんだからね!」と心中一人ツンデレしてしまうのですが、これはヒロイン桜良が主人公の『僕』に「君は死ぬの?」と聞かれ「死ぬよ!」とあっさり答えたり「鼻腐ってるんじゃないの?」と言われ「腐ってるのは膵臓でーす」とブラックジョークとばしてきたりするのでツンデらずに観れました。
結構早い段階。病院で共病文庫を拾ってから、学校の屋上で↑の「君は死ぬの?」のやり取りがあるのですが、最初にそこで涙腺が緩みました。観た方はお分かりかと思うのですが早いです。多分疲れてたりストレス溜まってたりもしたんだと思います。
萎びた社会人にこのピュアな2人は眩しすぎる...。
「少女漫画を思わせる演出にキュンとする」
12年後の、教師になった『僕』(小栗旬)が母校の図書館で桜良の幻?みたいなものを見て追いかけるのですが、桜良はクスクス笑いながら図書室の棚と棚の間をかくれんぼを楽しむようにヒラリ制服のスカートの裾を翻し『僕』を翻弄します。そう、12年前のあの頃のように...。
このシーン、少女期「なかよし」「りぼん」「マーガレット」を読み育った私、良い意味でむず痒くてたまらない。好き。
現在と12年前の回想が交互に描かれるんですが、『僕』を追いかけて桜良が同じ図書委員になったり2人でスイパラ(スイーツパラダイス)に行ったり福岡お泊り旅行に行って同じ部屋に泊まったり、クラスのアイドルと根暗な『僕』が急に仲良くなるものだからクラスメイトに噂されたり妬まれたり。桜良の親友・恭子に敵視されたりまさに青春。しかし桜良が冒頭で「死ぬよ!」と宣言してくれてるので甘酸っぱさを噛みしめながら「こんな幸せな時間も長くは続かないんでしょ、知ってる...」とこれから先の展開を病気もののセオリーとして自然にぼんやりと予想。原作未読で映画を観た方は同じように感じたと思うのですが、が...。
「ヒロインの桜良(浜辺美波)が可愛すぎる」
容姿も声も喋り方も言ってることもいちいち可愛すぎて、ちょっと2.5次元ヒロインみたいです。
内気で根暗な『僕』が惹かれずにはいられないよなぁと思う、可愛くて元気なクラスの人気者。
しかも小悪魔でもあるのでお泊りの際はほろ酔いふにゃふにゃ状態で『僕』にベッドまでお姫様抱っこで運ばせたり...桜良、恐ろしい子...!
「私達は自分の意志で出会ったんだよ」
小悪魔桜良は更に、家族のいない家に『僕』を呼び、死ぬまでにしたいことのひとつとして「キミは私のこと好きじゃないよね?私のことを好きじゃない男の子とイケナイことしたい...」などと述べ、『僕』に身を寄せ密着します。僕が固まっていると「冗談だよ」と吹き出す...さすがにこれはアウトだろうと思っていたら案の定『僕』もキレてしまい、桜良を押し倒してしまいます。ですよね。
しかし『僕』は泣いてしまった桜良を見て我に返り「ごめん」と謝り雨の中外へ飛び出します。そこで、密かに『僕』に嫌がらせをしていた桜良の元カレの委員長に「お前なんか桜良にふさわしくない」と難癖をつけられたりご乱心なところへ『僕』に傘を届けにきた桜良登場。当然委員長は桜良にフラレてしまい、雨に濡れた『僕』は桜良の家に戻ります。戻るんだ?とちょっと思いましたが戻ります。
これまで人と関わらずに静かに孤独に生きてきた『僕』は思わず言います。
「君は僕といるよりももっと君を本気で思ってくれる人といた方がいい。僕らはあの日、病院で偶然出会ったに過ぎないんだから」
桜良はこう返します。
「偶然じゃない、運命なんかでもない、君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの、私達は自分の意志で出会ったんだよ」
名言なんだろうと思うし、映画でも最初の見せ場!という感じに描かれてるのですが、「こんな考え方ができるなんて桜良はすごいなぁ」と思いながらこの場面は観てました。琴線に触れる言葉は人それぞれですね。
「いずれ失う私を友達や恋人、特別な誰かにしたくなかったんだね」
個人的にこの台詞がタイトルにもなっている「君の膵臓を食べたい」に並ぶくらいグッときました。
主人公とヒロインはお互いに惹かれあいながらも「好き」とは言わないんです。
確かに恋ではあるんだけど、それだけではない共犯共闘共有の意識。
原作者が「これはラブストーリーではない」と語ったそうですが確かに「恋愛映画」というより「生きること」がテーマなのかなと感じました。
原作では、「共病文庫」の最後に桜良の遺書が書かれていて、それが映画の「桜良の最後の手紙」に繋がるのですが。
『僕』が好きと言わない理由を、桜良はわかっていました。
残された時間が少ないから、悔いのないように思いを伝えて前向きに生きる。
残された時間が少ないから、泣きぬれて絶望の日々を過ごす。
主人公の『僕』がそのどちらに振り切ることも出来ずにもどかしく生きているのが観ていてしんどい。
「現在の『僕(小栗旬)』の冴えなさっぷりが12年前のキラキラ桜良と良い対比」
主人公の『僕』の12年後を演じている小栗旬の冴えなさっぷり(褒めてる)との対比で余計にヒロインがキラキラしてる。
ヒロインが思い出のままキラキラしてることで大人になったものの心はあの日に置き去り状態…な主人公の燻った現在が際立っていて物悲しい。
小栗旬イイ仕事してる。
桜良の明るさは、『僕』と秘密を共有する前に一人で一通り泣いたり運命を恨んだりした末の境地なんだろうなぁと想像すると健気で個人的泣きツボに入りほんと「デトックスかな?」ってくらい随所随所で涙がダバダバ出て、割りと本気で体内の澱みも一緒に放出できた気がします。
「そして彼女は」
雨の日を境に桜良の病状は悪化し、入院してしまいます。
そして...。
映画の『僕』原作の『僕』
『僕』が桜良に話した「初恋の、何にでも『さん』を付ける女の子」
原作未読だったので映画を観た時は本当の話だと思ってました。
でも原作を読んだら『僕』の嘘だったんです、ね!
「え、あれ嘘だったんだ...」と驚きでした。
野菜にも「さん」を付ける創作初恋少女も何だかラノベヒロインみがあります。
すらすらとあんな創作話が出てくるとはさすが読書家...?
いや原作未読だと騙されるでしょでも作中で騙されちゃう桜良可愛い...と思った一瞬後に「あ、でも、てことは桜良が初恋の相手...?」とまた衝撃。
「こんな初恋、絶対拗らせる」
原作の『僕』は高校生の時点で桜良の遺書を読んでいるので、桜良の願い通り(しかし1年間の紆余曲折を経て)桜良の親友・恭子と友達になって2人でお墓参りに行ったりと前向きな感じになってるのですが、映画の『僕』は12年経ってから桜良からの手紙を読むので恭子と友達になるでもなく、12年間ものすごく桜良を引きずってるんですね。
やっと手紙を見つけ出して、結婚式の出欠連絡も出来ていなかった恭子に桜良からの手紙を渡しに行くことができ、やっと「僕と友達になってもらえませんか」と言える。
原作の『僕』は何だかんだ時が経てば桜良との思い出に折り合いをつけて新しく好きな人を見つけることも出来そうですが、映画の『僕』は...正直、こんな初恋を経験してしまったら次の恋なんて見つけられなさそう、絶対拗らせる、だがそこが良い。
前向きに生きつつずっと桜良を引きずってほしい、と身勝手な観客視点で思ってしまいました。
「12年後を描いた意味」
映画は12年後の「宝探し」を描くことでドラマティックな演出や物語にメリハリをつけることが出来たのはもちろん、桜良のことを12年引きずり続け、なんとなく日々を過ごしてきた『僕』を描くことで「人は皆平等に明日何が起こるかわからない」「どんな生き方をしていても時間は平等に過ぎていく」ということも強調できたのではないかと思います。
意味を見出せる毎日でも見出せない毎日でも等しく時間は過ぎていくといいう現実。
「きみの膵臓をたべたい」
映画の中で重要なキーワードとして出てくるのが3回?
序盤のジャブからのストレート、アッパーって感じで涙腺崩壊しました。
図書室で2人が親しくなりはじめたばかりの頃に、桜良が最初の「君の膵臓をたべたい」という台詞を『僕』に投げかけます。
この時は「昔の人はどこか悪いところがあると、他の動物のその部位を食べたんだって。そうしたら病気が治ると信じてたらしいよ」「だから私は君の膵臓をたべたい」
と、普通に納得できる理由づけがあるのですが、2人の関係の変化と共に2回目、3回目で意味が変わってくるんですね。
さすが、「ラスト、きっとこのタイトルに涙する」と謳うだけある。
ちょっとこのキャッチコピーは「この映画(本)、すごく泣けますよ!!!」という感じがして抵抗があったんですが、まんまとタイトルの意味を知りたくなる良いキャッチコピーだと思います。
以下↓ネタバレあり感想注意
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季節外れの桜を見に行こうと計画した北海道旅行。
待ち合わせはスイパラ。
退院した桜良を待つ『僕』は桜良にメールを打ちます。
本当は君になりたかった、僕は君と出会う為に生きてきた...思いが溢れ思わず長文になってしまいますが、『僕』はその長文メールを全削除して一言だけ送信します
「君の膵臓をたべたい」
しかしメールの返事はありません。閑散としていくスイパラで、待てども待てども桜良は来ません。
しょぼくれて街を歩く僕の耳に飛び込む街頭のテレビニュースを読み上げる声。
若い女性が何者かに刺され死亡。
女性は市内に住む高校生、山内桜良さん。
桜良は膵臓の病気の為、ではなく通り魔に刺されて死んでしまいました。
膵臓の病気の為、ではなく。
「えええええぇぇぇぇえええええ?」
何だよそれ?ですよ12年前の図書室のシーンから伏線だろうなとは思ってたけど!
桜良前世のカルマかなんかなのってくらい酷い目に合ってる。
神も仏もない。
確かに現実のニュースでも通り魔殺人とか無差別殺人とかあるから誰がいつどうなるかなんて本当にわからないけど、それにしたって容赦ない死因...。
通り魔に刺されなければ、スイパラに行けてたら桜を見に行けてたら。
君の膵臓を食べたいとメールを送れた『僕』と桜良の距離はもっと近くなってたかもしれない、というタラレバ。
そんな二人が見たかったという気持ちと、このラストだからこの映画は良いのだ、と思う矛盾した思いがせめぎ合います。
桜良の最後の手紙
...でも私、そんな春樹に憧れてた
誰とも関わらないで1人で生きてる強い春樹
春樹はいつでも自分自身だった
春樹は凄いよ
私ね、春樹になりたい
春樹のなかで生き続けたい
そんなありふれた言葉じゃダメだね
そうだね...君は嫌がるかもしれないけど...私はやっぱり
君の膵臓をたべたい
若い世代はもちろん、初恋に苦い思い出があったり、燻ぶった日々を過ごしている大人にもおすすめかと!